ワイド版第3巻

概要

第一巻で関ヶ原の戦いが長々と語られたので、大阪の陣もさぞや丁寧に語られるかと思いきや、大胆な手法で一瞬で終わってしまう。
豊臣家滅亡後、徳川3代を通じて徳川政権を盤石化する一方で、政権の脆弱性が指摘される。天皇の存在である。事もあろうか、水戸藩主徳川光圀が尊王思想に基づく歴史編纂をはじめてしまう。一方で会津藩の藩祖となる保科正之の生い立ちと人柄が描かれ、時勢になびかず最後まで徳川家を守るという風土を作ってゆく。幕末の思想軸となる水戸藩と会津藩という対照的な風土が、徳川光圀と保科正之という同時代の人物によって形成された事が描かれる。

※「宝暦治水伝」は外伝扱いにします。

第一章:決戦

大阪の陣で豊臣家が滅亡すると同時に、徳川政権の政策が一変する。それまでの大名たちの顔色を見る態度が消え、覇者として振る舞うようになったのだ。恩賞を期待して集まった大名たちに、将軍秀忠は恩賞を与えないばかりか『一国一城』を厳命し、能を振舞った。

「大名(かれ)らはやっと気付き始めた。日本史上かつてない巨大な力が自分たちの上に君臨してしまったことを。もはや自分たちは、徳川家の飼い犬に過ぎなくなってしまっていることを」

3ページにわたる能場面は単行本の書き下ろしで、田中雅喜に別描きしてもらったという。突然挿入される劇画タッチの舞姿はいい意味で異様で、独特の雰囲気を醸している。

  • 大阪の陣(1615年5月8日)
  • 武家諸法度、禁中ならび公家諸法度、寺院・神社の諸法度の発布
  • 毛利家が例外的に朝廷へ献金することを許可する



第二章:巨星落つ

希代のたぬき親父・家康は、徳川政権の安定の為に自らの死をも利用する。

  • 家康急病(タイの天ぷら)
  • 家康の遺言「京に気を付けよ」「自分が神となる」
  • 家康の辞世「これでヤツの物は全部奪ってやったわ」
  • 元和2年4月17日家康死去
  • 尾張家・紀伊家・水戸家について
  • 徳川家の聖地・日光東照宮。元和3年東照大権現の神号を賜る
  • 幸松、甲斐の名族・保科家の養子に
  • 母との別れ、母の訓辞「母の願いはお前が将軍家に忠義を尽くす事です」
  • 福島正則、陰謀により失脚
  • 島津義弘没(85歳)、三浦按針没、琉球王尚寧没
  • 元和9年(1623)、徳川家光が将軍に(20歳)「余は生まれながらの将軍である」
  • 徳川秀忠の大御所政治
  • 毛利輝元没、吉川広家没
  • 家光の遠乗り。廃寺にてまだ見ぬ弟の事を知る



第三章:家光と正之

ご落胤・保科正之が父兄に会い、永遠の忠誠をちかう

  • 家光の御代について
  • 町人と旗本(旗本八万騎、旗本の江戸城内でのお役目について)
  • 街道筋に茶店などは無い
  • 御坊、家光に保科正之について語る
  • 将軍家光、まだ見ぬ弟・保科正之に興味を持つ
  • 弟というものについて
  • 信州高遠城主保科正之(18歳)、江戸城に呼び出される
  • 大御所秀忠と保科正之の対面(家光の悪戯)
  • 保科正之、将軍家に永遠の忠誠を誓う
  • 海外日本人町について
  • 徳川秀忠没(54歳)
  • 1634年、長崎出島の建造。1635年、参勤交代の制。1637年、島原の乱
  • 大久保彦左衛門没
  • 1641年、鎖国の完成




第四章:大老保科正之

  • 鎖国は必ずしも悪であったと言うことはできないのではないだろうか
  • 大航海時代後の植民化
  • 保科正之「松平」の姓と会津若松23万石を賜る
  • 宮本武蔵没(62歳)
  • 江戸市内鉄砲使用の禁、髭と茶筅髷の禁
  • 旗本たちの不満
  • 町奴幡随院長兵衛と旗本水野十郎左衛門の対立
  • 毛利秀元没(1650年 72歳)
  • 薩摩の稚児教育(郷中教育)、長老の関ヶ原恐ろしい話
  • 薩摩と同じぐらい強い藩(しかも薩摩と違って礼儀正しい)誕生!
  • 徳川家光没(1651年1月11日)→保科正之に将軍後見人を託す
  • 江戸幕府のしくみ
  • 保科正之、大老に就任



第五章:江戸城消滅

振袖火事の顛末

  • 由井正雪の乱
  • 大老保科正之の乱の対処
  • 丸橋中弥は長曽我部盛親の息子?
  • ハリきる正之
  • 八丈島にて大ボラ吹きの宇喜多秀家大長老死去(82歳)
  • 明暦の大火(振袖火事)
  • 江戸城天守閣焼失
  • この災害に関しての大老保科の異例な言動
  • 罹災者に米を分配
  • 細かいことに気のきく大老
  • 天守閣は建てなければよい
  • 「極付幡随院長兵衛」の顛末。水野十郎左衛門の長兵衛だまし打ち
  • この事件に対する大老の見事な対処
  • 明国内乱、介入要請を日本は拒否
  • 江戸時代の民衆の暮らしは縛りが厳しかったが、一方でとても爽やかだった
  • 犯罪が極端に少ない社会
  • 吉宗の享保の改革の手本は保科正之
  • 水戸光圀、善悪を語る




第六章:時代は移る

水戸光圀の皇国史観が、保科正之の思想と対比的に語られる。

  • 江戸の大名屋敷について
  • 水戸家が天下の副将軍だということについて
  • “尊皇攘夷”について
  • 『大日本史』編纂
  • 格さんは編纂事業のリーダー、助さんは古文書を求めて日本全国を旅
  • 水戸光圀、水戸藩の藩主に
  • 保科正之、高齢を理由に大老辞任
  • 会津藩の改革(殉死の禁止、社倉制、常平制)→ 民の勢い潮のように盛んになる
  • 会津藩vs水戸藩
  • 「武士道」の佐賀藩
  • 保科正之の死(1672年12月18日)とその遺言「会津家訓」
  • 水戸光圀の死(1700年)とその後の水戸学
  • 忠臣蔵

  • 最終更新:2015-11-21 13:52:14

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